お父さん、お母さん、私が特攻隊員と判って随分驚かれたことと思います。
予め私の命は無きものと覚悟されておられた事と思いますが、それでも私が戦死することが確実となれば、あらためて私について未練のような情も起こり、中々あきらめもつかぬ事と思います。
成る程私は小泉の家にとって大切な人間であったに違いありません。お父さんやお母さんの希望も多く私に掛かっていたことでしょう。
散々お父さんお母さんのお世話になって、大きくして戴いた。私にはそれが良く判ります。
然しお父さんお母さん。
今日本はまさに存亡の時にあります。米国はその兵力の殆ど大部分を集中をして、沖縄に侵攻して来ました。
これに対して日本も、その全兵力を傾けてこの撃滅を期しているのです。そしてあらゆる点に於いて困難な条件の下にこの戦局を打開し、一大攻勢に転ずるには、その方法は唯一つ、特攻に依る外はなくなったのです。
この沖縄決戦に集中してきた、敵大機動部隊の大部を葬り得たらその時こそ、日本の勝利は疑いありません。要言すれば勝敗の一大神機はこの沖縄決戦にあるのです。
この時に当り日本を救う道が特攻隊以外になかったとしたら、お父さんやお母さんは如何なる道を執られますか。言うまでもなく光栄ある特攻隊員の一員となられて、祖国日本の為に立たれると思います。私の選んだ道が即ち之です。
なにも私がやらなくても、特攻隊員となる搭乗員はいくらでも居るだろうに、と考える人もあるかも知れません。だがそう言う考え方は私の心が許しません。この戦争遂行に一体何万の尊い人命が失われた事でしょう。
これら靖国の神々の前にも、そして幾多の困苦と闘いつつ生産に敢闘している人々に対しても、絶対かかる私的な考えは許されません。
俺がやらなくて誰がやるか、各々がこの気持ちで居なかったら、日本は絶対に負けると言っても決して過言ではありません。
そして国が敗れて何の忠がありましょうか。七生報国の決意を果たすべき時は今、正にこの一期にかかっているのです。
お父さんお母さん、私を失われることは悲しいことでしょうが、このような事情を良くお考えになってください。
そしてこの決戦の一つの力に、自分の子がなった光栄に思いを及ぼして下さい。このような事を申すのは、私の老婆心であるかもしれません。だがいざ本当に息子が死んだとなると、新たな悲しみが起きるのではないか。そして又身体の弱いお母さんなど御病気になられるのではないか。(勿論そんな事はないでしょうとは思いますが)と思って敢て筆をとりました。
親友芹津も、不幸にも特攻訓練中に戦死しました。しかし目的を果たさなかったと言っても、芹津は立派に信念の道を真っ直ぐ進みました。その忠節は立派に果たされたと言っても良いと思います。
芹津の道は我が道であり、芹津の分も一緒に私が果たす覚悟でおります。冨田も中村もやがて私らと同じ道を進んできます。
夜も更けてきました。この辺りで筆を止めましょう。敵B29の落とした爆弾で屋根に穴があき、其処から霧雨が降り込んでいます。
ではお父さんお母さん、先立つ不幸を許してください。
茂樹・幸子・禮子・忠雄へ (小泉少尉の弟・妹)
今、あらためて何も言う事はないが、お前たちも分別の行く年頃だ。俺が何も言わなくても、お前たちは自らが如何にすべきかが解ると思う。
どうか兄に代わってご両親様に孝養を尽くしてくれ。
それから姉さんに宜しく。
神風特攻、第五昭和隊。昭和20年4月29日、沖縄東方海面にて戦死。22才