前略、相変わらず元気で勤めて居ることと思う。兄もなにより元気だ。母から父の写真を貰ったよ。まだ父の顔は忘れない。お前こそ忘れかけた頃だろう。写真を見た途端に〝お父さんすみません〟と不孝を心で詫びたよ。思えばいい父だったな。お前も父の写真を身につけて、自分の心の中にたるみが来た時には、写真を見て気を引き締めるようにしろ。父の写真を良く見ると何か言って居る。
兄には国のため、大君の為、人に遅れをとるな、卑怯な振舞いをするな、と言って居るような気がする。お前には、家の事は大丈夫か、母に心配をかけていないか、と言って居ることと思う。何より銃後の女性として頑張れ、又これは父が言って居たことであるが、職を何度も変わる人間は大成しない。自分に与えられた職はどんな小さい仕事でも良い、終始一貫これを大成しろ。
彼の太閤秀吉は、あの草履取りを日本一の草履取りにならんと工夫したからこそ英雄になったんだ。自分に与えられた仕事に於いては日本一になれ。どんな仕事でも良い、日本一を目指して勉強をするように。又その前途には苦というものがある。その苦を打破して征服することが日本一だ。それが試練だ。歌に
うきことのなおこの上につもれかし
かぎりある身の力ためさん
今だ、人間の全力を試す時は。今日ほど好期はない。
銃後は男より女だ。ソ連では労働者は皆女だ。彼の5ケ年計画は女手で充分出来ている。飛行機の操縦者、自動車の運転手は皆女だ。女で出来ぬ事は何一つない。日本人は昔から奥様・奥様で、奥に引きこもって居たからだ。女が上品とは昔のことだ。又仕事に負けるな、兄から希望する。
権藤さんや江藤さんや大峰の皆さんにはくれぐれも宜しく言ってくれ。東部の者とも仲良しになったら兄から宜しくと伝えてくれ。母には何よりも心配かけるな。つまらん文句になったが、要するに戦争時の女性として一生懸命に本分に邁進しろと言う事だ。乱筆にて相すまぬ。入島には時々電話でもかけて礼でも言ってくれ。兄は色々お世話になったからな。では身に注意せよ。
妹へ 兄より
昭和20年4月7日、南西諸島方面に於いて戦死。19才