御葉書拝見致す事ができました。沖縄の敵撃滅に出撃しましたので、遺髪・遺書等友人に託して、持ち物も殆ど人にやって出ました。それが種々の関係で生きて帰ってしまいましたので、一寸困っています。
お母様の所と桃江の所に、総て私の心情をさらけ出して、出撃寸前まで歌を唱い、和歌を読み捨て読み捨てしながら悠々と生活しました。
又月の出る頃は、南海の果てに御祈り下さい。何時かはそう遠くない時期に、目的を果たす日が来ると思っています。これからの命は儲けものです。
満月や 今宵若武者なぐりこみ
砕け散れ醜(てき)の大船 必殺の我が体当たり
生くべきに雄々しく生きよ 死すべきに潔(いさぎよ)く散れ
益荒夫(ますらお)は 真(まこと)の道を求め求めて
これが小生の今迄の心の持ち方です。同時に風流三昧に耽って生活を豊かにしております。同室の友人で婚約者が遥々(はるばる)天草へ来ている人がいます。美しい、いじらしい愛情です。この二人を讃美して歌を贈りました。女の人は隊より一里位の本渡町に居ります。
恋いの本渡の行き戻り 月の光に夫婦雛(びな)
友後に 急ぎ行く姿めでたけれ
鎮守の森に 待ち人のある
(私と一緒に外出した際、村はずれで例の人が待っていますので)
〝この友達も私と大して違わない、明日知れぬ命ですのに〟
一人残された私が麦もたわわな山あいの道を、一角の詩人になった気分でぶらぶら歩きます。大自然の巧みな事、深い事、静かにも豊なさま、いちいち命の琴線に触れて、心楽しきこと限り無しです。
崖に山つつじ、垣根には赤きバラありて、
山つつじ 真紅のバラの咲く頃は
我にも思う 人のあれかし
赤き花 緑の海や白き雲
幽霊が 汗を拭き拭き本渡迄(下宿では、まさか又会えるとは思わずに)
天草を 出で立つ時や五月晴
ながらへて 基地に帰るや梅雨(つゆ)の頃
相馬少尉が 死んでも生きても
天草の海 のたりのたりかな
こんな風にして毎日を過ごしています。村の子供を囲んで合唱する事もあります。小学校でも、中学校でも、高等学校でも、何処の先生にでもなりたい気がします。
この前、兵隊の中に玄人の手相見が居たので、見せた所、『貴方は何に向かっても、たとヘそれが余り好みでないものでも、人並み以上に出来る方ですから、どんな職業でも成功します』と、自分でもそう思っていますが、そして嫁さんは素晴らしい人に出会うそうです。
平時ならば物凄く長命な相だと言われました。実際最近は心身ともに健かになる一方です。昔はつまらぬ事を気にすることもあったものよと、笑いが込み上げて来ます。
出撃当日撮った写真と、四国で撮った飛行服の写真、千葉の方へは送れないらしいので、一枚余分に複写して貰ったものを送ります。
原写真はもっと大きくて、自分でも今迄で一番自分らしく撮れたと思っているのですが、複写は小さくて暗くて残念です。
勝の写真出来たら送って下さい。攻兄さんの事、いつか司令に話しをしましたら、比島で山に立てこもって戦っているだろうと申しておりました。ひょっこり帰って来るような気がします。最後まで未だ元気でご活躍と思っていて下さい。
一年以上音信不通で帰って来た人もいるそうですから。尚給料其の他は隊へ問い合わせてキチンとして戴いた方が良いでしょう。海軍省のみではなく役所は何処でも、規則をよく知って請求せぬと駄目です。
淡路の田中多美子さんとか言う人からは、小生の所にも最近便りがありました。その外2・3の人から頂きましたが、全く知らない人ばかりからです。まとめてご返事をしておきました。
私の知っている常石智恵子さんという小さい子からも、今日便りがありました。本当に皆可愛い子達です。感謝で一杯です。生き延びてしまうと肉親に会いたくなる煩悩具足の身、困ったものです。
お婆さんが直接手紙でも書けたら面白いと思いますが、これは無理ですね。写真でも撮れたら送って下さい。
高橋さんの叔父さん、叔母さん、矩子さんにも宜しく。しっかり元気をなくさないでやるよう申してください。
母上様 昂
余りにも恵まれたる環境に感謝して
神風特攻、第12航戦二座水偵。
昭和20年6月11日、九州南方海面にて戦死。24才