母上様
寿宗この度選ばれて神風特別攻撃隊第2天桜隊の一員として、明日還らざる攻撃に参加致します。
栄えの攻撃に参加できること、男子の光栄之にすぐるものはありません。我、海軍航空隊に身を投じてより早や二星霜、その間我々は如何にすれば立派に死ぬることが出来るか、立派に陛下の御楯として散ることが出来るかという事のみを念頭に置き、今日まで訓練いたしてまいりました。その甲斐あってか幸いにも男子として、この上なき立派なる死所を得たことを、感謝している次第であります。
顧みますれば我現世に生を享けてより20星霜、御両親の愛の手一つで育まれ、今日海軍に籍を有する身となりました。その間子として何等孝養も致さず死して行くのが、残念で残念でたまりません。この不孝幾重にも幾重にもお詫び致します。しかして小生爆弾を抱き愛機諸共敵艦に体当たり致し、玉と砕け散りたる時の戦果を以って、今までの不孝の万分の一でも御許し致し下されば、小生の喜び之にすぎるものはありません。
明日散る身を思へど何等之と言って感慨もなく、ただただ幼かりし頃より今日までの我の出来事など想起し、ひとしお感慨深きものがあります。
田浦ー横須賀ー平塚ー大泉でのこと等、又幼き日空飛ぶ飛行機を見、その音に驚き母上の洗濯中の盥にて大きなコブを頭につくりたる話、よく母上様のお話にありましたが、今ではその飛行機と共に、敵艦と刺し違へんとする身となりましたのには、我ながら可笑しなくらいです。まだ色々な思い出話もありますが。
我、戦死すと聞かされてもどうか泣かずに立派に死んだと、褒めて下さい。少しも力を落とされるようなことのない様に。そして恭宗や節子に力を落とさせず励まして、しっかり各々の進む道に邁進させて下さい。
戦地にある父上にはくれぐれも母上より宜しくお伝え下さい。私からは別にお便りは出しませんでした。
又転属の途中時間もありましたので、大阪にて奥野の叔父様宅を訪問いたしました。叔母様は名張の方へ行っておられ、残念ながらお会い出来ませんでした。しかし叔父様が大層喜んで下さいました。
母上様からもくれぐれも宜しくお伝へ下さい。
弟恭宗の将来は尾張の叔父様、奥野の叔父様等と良く御相談の上決めて下さい。恭宗の事のみが唯一の心残りです。どうか恭宗にとって最上の道を選んでやって下さい。お願いします。
寿宗は桜の花の散る如く、敵艦に立派に玉と砕け散ります。戦地の父上も、私の散った模様をお聞きになられたなら、必ずや「寿宗よくやった」と喜んで戴けると確信致しております。
母上様・父上様・恭宗殿・節子殿
益々御壮健で何時までも何時までも、御幸福にお暮らしになられん事を、寿宗大空の一角よりお祈り致して居りますと同時に、皆様の輝かしい前途を見守って居ります。では之にてお別れ致します。
一家の前途に幸あらん事を祈って筆を置きます。永々有り難う御座いました。
神風特攻、菊水天桜隊。
昭和20年4月16日、南西諸島方面に於いて戦死。19才。